9月の頭に行われた東京写真教室 Photons*** 3期生 修了展。
遅くなりましたが、無事に終えることが出来ました。
今回は、展示の運営に携わらせていただいたこともあり
普段、企画に乗っかるだけの人の私としてはおおよそやらないことを
経験させてもらってとても貴重な日々でした。
さて、肝心の展示の方ですが今回もイイ意味でみなさんの期待を裏切ることが出来たので
「よしよし」というキモチです。
修了展だからこそ選んだテーマ、掘り下げ、表現といえるのではないかと思います。
作品自体は今後、Portfolioサイトにアップしていくとして
展示風景と今回のステートメントをこちらに掲載しておきます。
=セルフライナーノーツ=
歌人である私の詠む衝動と、写真を撮る人としての撮る衝動。
最終的にそれらは一つとなって世に出ることが多いのだが、
当たり前のように行っているその行為は自分の中でどうすくい取られ、
どう咀嚼されているのかを考えてみた。
基本的に詠むことと撮影が同時に行われることは、まずない。
鮮やかで蕩けるような花、曰くありげな古い建物、
今にも朽ち果ててしまいそうな路地裏の階段や壁。川沿いに忘れ去られて
野晒しになった自転車や寒空に露わになった木々の枝。
特に心魅かれるそれらは撮りためられて記憶の片隅に置かれている。
さて、短歌や俳句はどうか。こちらは衝動と言うよりはいわゆる「降りてくる」
感覚に近い。しかし、何もないところからは残念ながら降りてはこないのである。
どういう時に何に喜びを感じるか、悲しみを感じるか。
この人のこういうところが好きだ、苦手だという感情は常に意識している。
たとえば現実ではない小説や音楽、美術などでも感情は働き、やはりそれは
記憶となるだろう。
その意識が、ある時、音も色彩もない世界へと入り込み記憶を手繰り始める。
その記憶を手繰り寄せる時に初めて音や色彩を伴った言葉になり、
言葉と一つになる写真が結びつけられるのだ。
(ある時というのは私の場合、往々にしてぼんやりしているときである。)
今回ここに展示している写真は手繰り寄せる手前の
音も色彩もない世界を表している。ここから私が手繰り寄せた言葉と一枚は
どんなものだったか。ぜひ味わっていただきたい。
※ライナーノーツとは音楽CDなどについている冊子に書かれる解説文のことで、
基本的にはアーチスト本人ではなく音楽関係のライター、本人の関係者などが
書くもの。時に本人が書くこともあるらしいので、今回は修了展にあたり
自分自身を掘り下げると言う意味でセルフライナーノーツとタイトルをつけた。
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土曜クラス、日曜クラスの会期中、445名という非常にたくさんの方にお越しいただきました。
いただいた感想カードは何度も何度も読み返し、
今でも読むとウルウルとしてしまうものがたくさんありました。
この場で得たものはきっときっと今後に繋いで、もっともっと前に進んでいきたいなーと思います。
最後に一年間でここまで自分を引き上げてくれた蛎崎先生、そしてクラスメート
同期の皆さん、先輩方、日頃作品をご覧いただいているみなさまに感謝いたします。
みなさまありがとうございました。